予備校講師採用試験に2回落ちた九大チンカス院生の入試数学語り。

毒舌、下ネタ注意。※年々自信を失い、それに伴って毒もマイルドになってきています。

昔の自信。

 自分語りです。

 先ず、小学生時代は超が付く程の糞餓鬼で、まじで勉強とは無縁でした。ただまあ、授業や普段の発言から、漠然と「教師達は何か頭が悪い」とかは思っていましたね。例えば、教師が「0では割れない」と言っていたのが理解出来なくて、自分で色々考えた結果「0で割ると無限になる」と勝手に結論付けて、テストで「5÷0」という問題に「むげん」と平仮名で答えた事が有ったんです。勿論、バツにされたんですが、それに抗議した俺への教師の``説明''が(詳しくは覚えていないのですが)大層得心のいかないものだったんですよね。これだけが原因だったかは覚えていないのですが、まあでも大体この辺りの頃から、漠然と教師に対して「こいつ等、普段は何か偉そうにしているけど、案外、何も理解していないんじゃないか?」みたいな風には思っていましたね。

 

 そんな俺が勉強に目覚めるのは、中学生になってからです。別にうちの両親は全然``教育熱心''とかではなかったのですが*1、流石に俺が余りに勉強しなかったのをまずいと思ったのか、中学に入った時に一緒に塾にも入れられたんですよね。ですがその塾がもうまじで意味不明なスパルタ塾で、しかも学力順にクラス分けされ、下のクラスにはまじで人権が無い。勿論、俺は1番下のクラスから始まり、てかそれどころか余りに勉強が出来ないんで更に下の特別クラスに入れられ、そこですらついていけないから、とうとう「お前だけ毎日来い」ってなりました(当時の通称``下の下の下クラス'')。英単語「chair」が覚えられなくて、500回くらい書かされたのを覚えています。周りの連中からは兎に角「馬鹿w馬鹿www」と煽られたもんですが(人権無いんで)、しかしながら、この環境が当時の超負けず嫌いの俺には抜群に合いました。周りの糞野郎共を見下し返してやろうとまじで勉強しまくって、そして中学校2年生の終りに、人生で初めて、定期試験の点数が学校の学年(=クラス)で1番になりました。それ以来、確か1回やらかした以外はずっと1番でしたね。しかも件の塾(地元では進学塾として割と有名だった)の模試でも何回か塾内1位になったんですよね。「俺様は天才である」と心から確信していました。勿論、全国模試のランキングとかで「世の中には自分よりも頭が良い人間がいる」という事は知ってはいたのですが「そんな連中は本当に一握りであり、俺様が天才である事に変わりなかろう」と本気で思っていました。

 

 ところが高校では、部活とAV鑑賞とゲームと``自分の数学''に夢中になってしまって、成績は最終的にクラスで下から2番目くらい迄落ちこぼれてしまったんですよね。*2ただ「まあ勉強してないからってだけだろ」と割と本気で思っていて、余り気にはしていませんでした。まあつっても流石にまともな大学への現役合格には間に合わんだろうという事で、部活最後の大会が終った段階で浪人する事を決めていました。なので高3の受験期は、浪人した時の計画を立てる事に夢中になっていました。一応、曲りなりに``受験勉強''もしたのですが、結局、センター試験の点数は確か560/900くらいで、地元の大学(千葉大)にすらお話にならずに落ちました。あれ程、落ちても何とも思わなかった試験は、今のところ他に無いです。

 

 「俺様は優秀だからやれば出来る」という自信は(若干の不安は込みだけど)有ったので、その事を証明する為にも、かなりの覚悟を持って浪人生活に入りました。その為の計画は練りに練っていましたしね。また、同じく浪人した高校の連中*3とダレる事を避ける為、敢えて俺だけ東京の予備校(代ゼミの本部校)に通う事にしました。結論から言えば浪人生活はかなり上手くいったのですが、でもそれは俺の力だけではなくて、他に3つの偶発的な要因が在りました:

  • 1つ目は、自分が浪人生活に入る直前の2011年の春に、東日本大震災が在った事です。自分が住んでいた千葉もかなり揺れて、また連日の報道を見て、何も出来ない自分の無力さに何か物凄い屈辱感の様なものを抱きました。そして「若し人間がこういう事態に立ち向かう術が在るとしたら、それは恐らく頭の良さだろう」みたいな風に何と無く思いました。今思えば、勉強するかなりの後押しになっていた様に思います。
  • 2つ目は、予備校の数学の担当だった荻野暢也先生(接点Tの人)の授業初日の言葉です:「君たち、まさか今日「一緒に昼食を食べる``友達''ができるか」なんてことで悩んだりしてはいないだろうね?はっきり言っておくけど、そんなのは少なくとも今年の君の``友達''などではない。今年の君にとっての友達は、話したこともない、毎日自習室に君と一緒に最後まで残っている、そんな人のことだ。浪人する以上、これくらいの覚悟を持ってほしい。」確かこんな内容だったと思います。俺の心を読んだかの様に図星を付かれたので、本当に衝撃でした。友達とダレない為に態々遠くの予備校に来たのに、俺はその日、完全に「1人で昼食を食べる事」に悩んでいました。「絶対に駄弁る友達を作らない事」「毎日最後の1人になる迄、自習室に残る事」この2つを心から誓いました。後者はまじで1年間ずっと実行しました。前者については、結局、3人友達が出来てしまったのですが、その3人も本当に真面目な奴等と自然に仲良くなっただけでしたし「勉強時間を削って話し込む」なんて事はまず無かったです。
  • 3つ目が恐らく俺の中で1番大きな切っ掛けで、それは、中学の頃に好きでしかも仲も良かった女の子と、予備校の近くで再会した事です。しかもその子、何と殆ど隣の専門学校に同じ電車で通っていたのです。本当に情けない話ですが、俺、人生でまともに人付き合いが出来た女の子がその子だけで、しかも普通に滅茶苦茶可愛かったんで、(高校3年間で殆ど関わりが無かったにも拘らず)当時は未だその子が俺の中で本当にでかい存在だったんですよね。そして、俺が足踏みしている間にその子はちゃんと人生を先に進んでいる。しかも俺の姿を目にするかも知れない身近にいる。「恥ずかしい姿を見せる訳にはいかない」という強い思いが生まれました。結局、10代の心を強く動かすものなんてのは、色恋沙汰だけなんですねえ。

 と言う事で、強い決心に加え極めて強力な3つのアシストが在ったお陰で、浪人時代はまじで今思い出しても「一寸おかしかったんじゃないか?」と思うくらい勉強しました。授業も込みで、1日13時間半くらい勉強していました。予備校のクラス担当の方に「身体を壊すから少し勉強を控えた方が良いんじゃないか」って何度も言われる程でした(笑)。その甲斐も在って、高3の冬の時点で47だった偏差値(国立記述模試)が、何と浪人の夏には77になったんです。生物は全国で12位。いやまじ凄くね?で、凄いのは良いんですが、いや俺の駄目な所ですねえ、その模試の結果を貰って以来、電車や町で会う他人の事が、ゴミか何かとしか思えなくなってしまったのです。あれだけ綺麗な心で勉強初めたっつーのに、まじ何やってんだよって話ですよね。いや、受験のストレスの影響も在ったっつー事で許して欲しいのですが、自信が即傲慢に繋がってしまうところは、本当に俺の悪いところです(未だにやっちゃう気がします)。っつー事で最初は九大だった志望校*4を京大に変えたんですが、*5ここで数学が伸び悩んだんですよね。数学だけ、何故か偏差値が60弱から70弱の間で振れまくって安定しない。数学の偏差値が低い時の模試だと、京大はB判定になってしまう。加えて、何年かに1度の難しい年の京大数学には、まじで歯が立たない(2完以下になってしまう)。3回受ければ2回は受かる自信が在りましたが、浪人して後がない状況でこの博打をする勇気は俺には有りませんでした。結局、センターも8割一寸しか取れなかったんで、大人しく九大農学部に入学しました。*6

 

 今は数学科にいる俺が、初め農学部に行った理由は2つです。1つは、昔から生き物が好きだった事。もう1つは、大学入試の頃に数学が1番成績が悪かったから、数学科でやっていける自信が無かった事です。ですが、この選択は間違いでした。先ず、農学部って女の子が多くて、学生が全体的に「大学生大学生」している。陰キャの俺には中々に厳しい環境です。しかも俺、下の名前が「勝男」なんて面白ネームなせいで、初日にクラスの女の子集団に囲まれてしまったんですよね。まじで焦りました。高校の頃は理数科、浪人時は一匹狼だったせいで、俺ってほぼ4年間、歳の近い女の子とまともに会話をしていなくて、その間に、女の子と何を話せば良いのかが判らなくなっていたのです。衝撃でした。女の子と目を合わせていると、首が震えるのです。「あれ?俺ってこんなにコミュ障だったっけ?」ってなりました。しかも不幸にも、そんな俺の心境を知らずにただ女の子に囲まれているところだけ見ていた一部の男連中から``チャラ男''の烙印を押されてしまいました💩 思えばこれが最初の切っ掛けで、更に部活で上手くいかなかったり脚に病気が発覚したりと色々な不運が重なったせいで、もう俺は完全に大学生活を放棄したいという気持ちになっていました。そんな時にふと思い出したのが、大好きだった(でも諦めてしまった)数学でした。どうせやる事も無いので、大学入試の数学の復習、そして数学科が皆躓くという「イプシロンデルタ論法」の勉強をしてみる事にしたのでした。この時に出会ったのが「入試数学の掌握」という大学入試数学の参考書でした。この本については色々な所で語っているのでここでは控えますが、兎に角、こいつのお陰で、今、このブログでしている事の土台が出来ました。更に、イプシロンデルタも何か解るし何なら面白い。「俺は矢張り数学をせねばならない」と盲信するに至りました。思い付いた方法は再受験と転学部の2つだったんで、両方の準備を開始しました。丁度良いところに「脚の病気」という言い訳が在ったので、こいつを使って休学をして、先ずは京大再受験の準備を始めました。数学で満点近く取れると確信していたので、自信は有りました。しかし、センター対策を一切せずにいったら、何と得点率70%を割って足切りされてしまった!序でに後期で出願していた神戸大の数学科も問題文を読み間違えて逆転出来ずに落ちてしまった!*7ではまあ仕方無いので今度は九大数学科への転学部ですが、こちらは上手くいったので、無事、数学科生になる事が出来ました(但し1年下に実質留年で転属。浪人と合わせて+2)。

 

 数学科へは、もう本当に自信満々で転学部しました。農学部に入学した時点で既に九大生の中では最強クラスの知能が有ると確信していましたし、数学も(数学科生が皆躓くと専らの噂のイプシロンデルタも含めて)完全に克服している。しかも相手は実質2つ下の学年。「負ける筈が無い」と思っていました。この自信は、それこそ演習発表の時間なんかに滲み出ていたかと思います。*8そんな自信満々だった俺が数学科で出会ったのが、KとMの2人でした。発表とかを見て、只者ではないとは薄々感付いてはいましたが、それでも最初の半年くらいの間は「まあ九大にもこの俺様の足下くらいには及びそうな奴もいるのかw」程度の認識でした。そんな時、彼等2人でやっている自主セミナーに俺も参加する事になったのですが、これがまじで衝撃でした。2人のやり取りが全く理解出来ない💩 俺の中での彼等への評価が完全に誤りであった事を明確に認識しました。Mは発想の引き出しが凄く豊富で、そしてKは兎に角理論を吸収するスピードが尋常ではない。勉強という種目で、初めて「まじで勝てない」という相手に現実で出会ってしまいました。ですが、ここでは未だ俺は全く折れていませんでした。と言うのも、俺は「大学入試数学に浪人時代に1度躓き、そしてそれを大学に入ってから克服した」という経験から「俺は才能よりも方法論の人間だ」という自覚を持っていました。なので「じゃあこの正攻法では全く敵いそうに無い奴等に、何とか方法論で勝てないか?」という方向に直ぐに考えがシフトしました。出会ったと言っても、所詮、2人だけだった事も大きかったのでしょう。俺が九大数学科で``トップクラス''の人間である事には変わり在りません。と言う事で「勝てない相手に出会って挫折する」という数学科のテンプレは回避出来た訳で、数学科2年、3年前期は割と穏便に過ごす事が出来ました。「数学者になりたい」ってはっきり思う様になったのも、大体、これくらいの時期でしたかね。ですが、転機は3年後期から始まる個別セミナーでした。俺は上野健爾って人が書いた「代数幾何」という本を勉強する事にしたのですが、この本が兎に角、読めねえ💩 「スキーム」という複雑な対象が在って、そいつを定義した辺りから、本の証明が全く読めなくなってしまったのです。それでも「読めねえなら全部定義から俺様が示してやる!」つって最初は何とか凌いでいたのですが、それも出てくる定理自体が難しくなると段々出来なくなっていってしまって… しかも自分で勝手にした証明をセミナーで発表してると先生はどんどん不機嫌になっていくし… 本の半分に到達する前に、もう殆ど自力では何も出来なくなってしまって、しかも先生に聞いても何言ってるのか殆ど解らないし… これが大体、学部4年の半ばから修士1年の半ばくらいの話です。しかもこの「代数幾何」って分野、研究者の間では``基礎''っつわれてるんですよね。この頃になると、段々とクラスメイト以外の数学コミュニティの話も入ってくる様になって、誰々はもう代数幾何の本を読み終わったとか論文を書いたとか、``2人だけ''だった筈の``俺の上''は、いつの間にかそれはもう沢山になってしまっていました。この頃はもう本当に数学が嫌で嫌で仕方が有りませんでしたねえ。先ずはセミナーの準備が苦痛で仕方が無い。結局、1週間掛けても出来ない様な内容の発表準備を、その上、セミナー当日の深夜になる迄一切やらない、みたいな日々が何ヶ月も続きましたね。俺って「自分が優れているという自覚が有る状態から、更に上に行く為の努力」なら幾らでも出来るのですが、「自分が平均未満の状態から、それに追いつく為の努力」は、如何やら全く出来ない人間だった様です。*9そして、自分が今迄見下してきた人達に対して、本当に申し訳無い気持ちになりました。自分も``弱い立場''に立たされて初めて、``弱い立場''の人間の気持ちを理解するに至ったのでした。

 

 かくして自信を完全に失っていた俺が、如何にしてまあ今程度にまた自信を取り戻すに至ったのか、もう少し(?)書く事にします。切っ掛けは、修士1年の夏頃です。「滅茶苦茶腹が痛くて、しかもうんこが殆ど出なくなり、その上たまに出るのが血便だったりする」って時期が1ヶ月近く続いたんです。まあ今考えれば如何考えてもセミナーのストレスだった訳ですが、当時の俺はもう正常に思考出来る状態ではなかったので「何かの悪い病気で、きっと俺は死ぬんだ」と本気で思い込んでいました。しかしながら、これが結果的に良かった。いや「死ぬかも知れない」と本気で思った時、やれ本が読めないだのセミナー中に先生の機嫌が悪いだのなんて事が、もう本当、心底如何でも良くなったんです。結局、検査は何の問題も無くて、そしてこれが切っ掛けで、俺の数学に対する想いは以前とは丸っきり変わっていました。もう兎に角、自分が自分に勝手に課していた、変な拘りだとかプライドみたいなものが、綺麗さっぱり消え去っていたのです。っつー事で恥を晒す事を恐れなくなった俺は、先生に「もう難しくて嫌だからこれ以上この本(代数幾何)は読みたくない」とはっきり伝えて、代数幾何セミナーを終りにしました。この時、修士1年の半ば。結局2年間、セミナーでは殆ど何も身に付かず、数学力はほぼ学部3年の頃と同じ状態です。目下、取り敢えずは修論を書いて修士課程を卒業する事を考えなければいけない。っつー事で先生に(こっちが勝手に溜め込んだ)これ迄の鬱憤を晴らすかの様に「研究の仕方を教えろ」「論文を寄越せ」「こんなの読めない別のを寄越せ」みたいな事を(勿論、こんな言い方はしていないですが)言いまくった記憶が有ります。そして出会ったのが、我が専門「高さ函数」です。学部3年迄の知識+αくらいで取り敢えず定義は理解出来る対象で、しかも議論に俺が好きな「イプシロンデルタ論法」が頻繁に使われます。俺には打って付けの研究対象でした。こいつについて、勉強ではなく、兎に角、自分の手で色々と考えたり調べたりしてみました。「考えたり調べたり」つっても、本当に素朴で稚拙な事ばかりやっていた訳ですが、でも代数幾何の勉強と違って「確かに俺が俺の手でちゃんと理解しながらやっている」と実感出来る事が、兎に角、とても楽しかったです。んで、俺は自分が理解出来た内容をノート(てかテフ)に纏めるのが好きなんで、調べた事の纏めノートの作成を同時並行でしていたのですが、軽い報告のつもりでそのノートを先生に送ったら、何と先生から「取り敢えずこれで修士論文はOKですよ」と言われて、これで最後の懸案事項だった「修論」もあっさり終ってしまいました。完全に忘れつつあった「数学者」という夢が、再び俺の中で色を帯びていきました。こうして「最初に思い描いていた「難しい理論を勉強して、流行ど真ん中の数学で良い論文を書いて」みたいな数学者になる事は難しそうだけど、一方で「他人と違う方法論で斜め上を生きていく様な数学者」になら、ひょっとしたらなれるんじゃね?」みたいな勘違いを起こし、そして現在に至る訳です。

 

 と言う事で、以上、(鈍感なお陰で)自信満々だった俺が、その自信を失い、そこから再度ある程度自信を取り戻して今に至る迄の過程を書いてみました。いや、直ぐに終らせるつもりだったんですが、やっぱ俺、自分の事が好き過ぎるんで、見事に長くなっちゃいましたね。2時間も文章打ってたわ💩 まあこの様に今は今で自分の事が好きだしそれなりに自信も取り戻した訳なんですけど、まあふと、昔みたいな「俺様俺様」したパワフルさはやっぱ無くなっちゃったなあ、っと思って、懐かしむ意味も込めてだらだらと自分語りをしてしまいました。こういうのもその内、黒歴史になるのかもだけど、まあツイッターで宣伝しなきゃ殆ど読む人はいないでしょう(つって出来れば沢山の人に読んで欲しいかもとかも一寸思ているからブログに書くんだけどね)。

*1:勉強を強制しなかったというだけで、うちの両親は「人の親」としては最高クラスに出来た人間だったと思っています。

*2:``自分の数学''ってのについて補足しておきます。高校数学って、特に(当時はこんな言葉知らなかったけど)論理や集合や写像に関する部分を色々と誤魔化しているところが気に入らなくて、テストそっちのけで、兎に角、解らない基本的な所を自分で納得する迄、調べたり考えたりしていました。他には、メネラウスの定理(俺にとって「成績の為ではない、初めてちゃんと好きになった数学」でした)の拡張とか高次元化とかも色々と調べていた記憶が有ります。

*3:公立進学校あるあるですが、うちの高校って兎に角、浪人率が高くて、地元の予備校は知り合いだらけでした。

*4:因みに、千葉県民だった俺が何で九大志望だったかっつーと、先ず目標は最低旧帝大で、でも「1年で東大京大は流石に難しいだろう」ってなって、そして北大はネットで``千葉大と同じくらい''って言われていたんで嫌で、東北大と名大は地震が恐くて嫌で、そして阪大はシラバス見ると必修だらけで「大学に入ってまでこんなに授業を強制されたくない」と思って、っつー事で、完全に消去法でした。

*5:東大も必修の単位数が凄かったんで行きたくありませんでした。

*6:ただ、俺の受験年は2012年だったのですが、皆様ご存じの通り、この年の京大理系数学は正にその「難しい年」であり、あの年に京大を受けたら俺は先ず間違い無く落ちていたので、まあ結果的には正しい選択だったのでした。

*7:いや、これはまじで普通に解けた易問でやっちまったんです信じてください。センターのビハインドがでか過ぎて、1問ミスが致命傷になった様です。

*8:2つも年下の子達相手に、本当、何やってんですかねえ。不愉快な思いをした人も多かったかと思います。本当にすみませんでした。

*9:中学の頃の塾時代や予備校時代も「平均に追いつく立場」ではあった訳ですが、当時は自分の才能に自信が有ったんで、俺の中では勝ち試合でした。一方でこの時は、既に自分の才能に自信を失い始めていた訳で、以前とは訳が違います。