予備校講師採用試験に2回落ちた九大チンカス研究員の入試数学語り。

毒舌、下ネタ注意。※年々自信を失い、それに伴って毒もマイルドになってきています。

二次元美少女文化のパブリックな発信の仕方について思う事。

 最近、``表現の自由''みたいな大袈裟な単語も持ち出されながら「二次元美少女文化を(例えば公共の場でのポスター等として)積極的に発信する」といった行為に関する議論が起こっています。結論から言うと、俺は「この様な行為はどちらかと言うと控えた方が良いんじゃないかなあ?」と思っている立場で、それについて一寸書いていこうと思います。

 先ず、(これはよく知られているかそうでないのか俺にはよく判らないのですが)俺は割とがっつりとした二次元美少女オタクです。*1これはツイッターのいいね欄を見ていただければほぼ明らかだと思います。歴もまあまあ長くて(15年以上?)、最初は「ひぐらしのなく頃に」とか「ゼロの使い魔」とかだったです。ポテンシャル的にはもっと長くて、遊戯王の女性カードを秘かに大事にしていたり、或いは妹が見る女児アニメを口では「えーまたこれ見るのー」とか言いながら実はポテンシャリー楽しみにしていた系です。*2

 自分語りはこれくらいにして、じゃあ何で二次元美少女文化好きである筈の俺が第1段落の様な考えを持っているのか、という話ですが、これは第2段落冒頭の「これはよく知られているのかそうでないのか判らない」という部分が少しポイントになっています。つまり、俺は「その気になって俺について少しでも調べようとした人に対しては自分の趣味を一切隠してはいないけど、自分から「俺は二次元美少女オタクだー!」みたいな事を他人に話したりパブリックに発信したりは殆どしていない」という態度の人間であり、この態度は或る種の信念(と言ったら大袈裟かも)から来ていて、そしてこの信念が先の考えに対する理由にもなっているのです。この信念とは簡単に言うと「性的な話題は決して恥ずかしいものではない一方で、(誰の目にも付く様な)まじでパブリックな発信はすべきではない」というものです。*3

 詳しい説明を書くに当たり、先ずは次の前提を認めてもらう事にしましょう:(俺を含む)多くの二次元美少女オタクは、基本的には二次元美少女キャラを好きな理由の根底に、性的な欲求が含まれている(``全て''とは言っていませんよ!)。そしてこれさえ認めてもらえるのだとしたら、先の信念自体にはかなり自然に到達し得るのではないかと思うのです。例えば、(パラレルな例えになっているかは一寸疑問ですが)若いご夫婦なんて存在は、そりゃもうほぼ自明に夜はえっちな事をしている訳ですが、一方で少なくともそれについて誰彼構わず話す事はしない、という文化を我々は共有している訳です。即ち「性的な話題というものは、``暗に明らか''であったとしても、それを敢えて口にするのは野暮である」という不文律を我々は共有しているのです。この不文律に対して更に理由付けを行う事は(少なくとも俺には)難しい事なのですが、でも、直接的な性的話題を苦手とする人は確実に(社会的に無視出来ない割合で)一定数いて、そして彼(女)等の感覚は決しておかしなものではないと思うので、そこに払われる(当然の)社会的配慮が、この不文律であるのだと推察しています。

 さて、以上ので説明した信念が第1段落の考えに至る為には1つの論理的ギャップが存在します。即ち「二次元美少女のイラストは性的であるか否か」という(ネット上でも議論の中心の1つとなる)問題です。これについては先ずはイラスト個々の表現に依ると思います。しかし、ネットで話題に挙がってきたイラストの多くは、例えば水着等の極端な薄着であったり、或いは現実ではほぼ実現不可能なおっぱいの強調描写(i.e., ``乳袋'')であったりといった表現が含まれているので、俺は(少なくとも若いご夫婦がそうであると自己紹介してくるよりは遥かに直接的な)性描写だと思います。*4まあでもこの判断は最終的には個人差に由るとしか思えないので、第1段落では「どちらかというと~じゃないかなあ?」という様に、かなりふわっとした表現をしたつもりです。また、二次元イラスト広告に対して異議を唱えている人達についても、「本当に性的な事を自然に連想してしまって嫌な気分になっている」のか、それとも「単にそう思い込んでしまって勝手に怒っているだけ」なのかの区別が俺には付かないので、俺からは何とも言えません。仮に前者の割合が無視出来ないものであるとしても、アンケート調査等では後者との区別は付かないと思いますしねえ。だからこの件については最後は個人個人の判断に依るしか無いと思いますし、そうなると、内々に二次元コンテンツを楽しむ事への火の粉も考えて、俺は慎重な立場を取っています。

 ところで「内々に二次元コンテンツを楽しむ」という表現をしました。最後にこれについて「表現の自由」という言葉と合わせて考えを書いていきたいと思います。先ず「表現の自由」なる権利が「公的な場に於いて如何なる制限も受けない権利」でない事は周知の事実でしょう。そして「公的な」と書いた事からお察しの通り、(憲法学的に正しい解釈であるかは別として)俺は「表現の自由」なる権利の本質は「内々での表現はまじで如何なる制限も受けないもの」である事であると思っています。仲間内でならどんな過激なエロ話をしても良いし、それこそ本当に個人だけで楽しむ分にはどんなに非倫理的なエロ漫画を描いても良いのです(こちらは最早「内心の自由」の方か)。「表現の自由」という言葉は、こういう内々にやっている事を守る為に使うのが利口なんじゃないかと思います。例えば、てめーから俺について調べようとしてブログを読んでそこでの文章にケチをつけて来たり、或いはてめーで態々R-18ページで探さないと見付けられないエロ表現に対して文句を言って来たりとか、こういう時に全力で殴り返す為の根拠が「表現の自由」なんじゃないかなあ、と思っています。

 

 以上、書きたい事は大体書けた気がします。

 

 

追記:

 第4段落で仮定した前提について、二次元に限らず一般に見た目等が好みと合致する女性について、俺は完全に性的欲求が連想される事を防ぐ事は出来ず、またこれは殆どの男性も同様なのではないかと思います。これは無理に否定する事の方が寧ろ不健全な事実である気がします。寧ろ「貴女(或いは特定の女性キャラ)に対して性的な連想をしてしまう事が有るが、自分はそれを意図的に放棄します」みたいに、内的衝動を認めた上で理性側で対処した方が良い事実である気がします。(これは最早、筆が滑り過ぎな気がしないでもないですが、)例えば生徒に淫行して捕まる教師とかは、こういう衝動と理性の区別(及びその切り離し)が上手く出来ずに、理性だけで対処すれば良いものを(内的)衝動の方まで抑圧しようとするからやっちゃうんじゃないかなあ、とか思ったりもします。*5

*1:因みに数学は2次元よりも一般次元、もっと言うと次元とかは気にしない抽象論の方が好きだったりします(幾何は難しいので)。

*2:「ポテンシャリー」という副詞で「当時の俺は認めたがらなかっただろうけど」という事実を表現しています。

*3:ここで1つ弁明をしておきますが、ツイッターやブログは(俺は)それなりにプライベートな空間だと思っています。近い例を出すとしたら「他にお客さんが居る飯屋で友達とする会話」くらいでしょうか。「その気になって会話内容を聞こうと思えば判るけど、基本的には個人間のやり取り」という類いのものです。なので(俺が大好きな)下ネタを言ったり二次元美少女に関するツイートをいいねする、という行為も、先の判断基準に沿う範囲ではしています(下ネタに関しては俺と親しくしてくれている方々の名誉の問題とかも生じてくるので、最近は自分の中の基準をかなり厳しくはしてきていますが…)。

*4:「だったら男の上裸写真は如何なんだ?」みたいなのがこれに対する常套句的な反論の1つとして在りますが、俺は童貞(2022年5月現在)で女心が判らないので、これについては議論しません。世の女性って、男性の上裸でどれくらい性的な事を連想したりするんですかねえ?

*5:因みに俺は「~をしたい」という衝動のコントロールはそれなりに上手だと思っているのですが、一方で「~をしたくない」という衝動のコントロールはかなり苦手です(後者の衝動をコントロール出来ていない結果として前者の衝動もコントロール出来ていない(例えば、勉強したくないからゲームをしてしまう)とかはよく有りますが)。