予備校講師採用試験に2回落ちた九大チンカス研究員の入試数学語り。

毒舌、下ネタ注意。※年々自信を失い、それに伴って毒もマイルドになってきています。

何故俺はヴイチューバーや現実のアイドルを好きになれないのか?

 時々、明言する様に、俺はかなりちゃんとした「萌えオタク」なのですが、一方で(例えばここでも仄めかしている様に)萌えオタクの代表的信仰対象である「ヴイチューバー」「現実のアイドル」の事は、一切、好きになりたいと思えないのです。今回はこの現象についての自己分析を文章化してみようと思います。

 一言で言ってしまうと、俺がヴイチューバーや現実のアイドルを好きになれない理由は、人間不信だからでしょう。 以下「騙す」という動詞は「(俺が個人的に)善くないと思う行為をする事」とします。*1さて、俺は誰かに騙されたと思った時、その誰かにちゃんと人格が入っていた場合、割とちゃんと傷付くタイプの人間です。*2一方で、仮にアニメキャラ等に(作中での言動等により)「騙された」と思ったところで、所詮は人格が入っていない対象である事から、そう深く傷付く事は無いでしょう。そして俺は心がそれなりに弱いので、基本的に「自分が傷付く事からは逃げたい」と考えてしまう人間です。まあ要するに典型的なコミュ障二次元オンリーオタクって事ですね。以上で、タイトルの疑問文に対する返答のスケッチは与えた事になると思います。

 返答をより掘り下げます。これも過去にブログの何処かに書きましたが、俺は「信用する」という動詞を「騙されても許す」という意味で使用しています。この意味で、仮に実在の他人を悉く信用しない場合、社会生活が成立しないため、勿論、俺も実在の他人を信用する事は有ります。しかし俺が他人を信用する、或いは「この人の事は信用したい」と思う為には、基本的には「複数回の個人的な会話をした事が有る事」が必要なのです。そして「実在の他人を好きになる/応援する」という行為は、この「信用する」という行為と中々に切り離す事が難しいので、矢張り実際に個人的な会話をした事が無いヴイチューバーや現実のアイドルを好きになる事は難しいです。以上で、タイトルの疑問文に対する返答の詳細も与えた事になると思います。

 次に「では俺は現実に会話した事が有る人間の事しか好きにならないのか」という疑問について書いてみます。結論から言うと、決してそんな事は無く、例外的に「会話をした事が無い他人」を好きになる事も有ります。その「例外」になり得るのは「俺が「価値が有る」と理性側で信じている能力が高い人物」です。例えば「高さ函数を評価する能力」「SASUKEの能力」「短距離走の能力」は、俺が理性側で「価値が有る」と信じている能力の例です。「理性側」という単語を強調しました。つまり「価値が有る」と思っているけど、その感情が理性に由来していないものも幾つか有ります。その代表的なものが「可愛い」です。俺は明らかに「女の子が可愛い」という事に価値を感じますが、この感情は理性ではなく衝動、もっと言えば性欲に由来するものです。そして俺は「他人を好きになる/信用する」という自分のリスクになり得る行為の基準に、衝動を混ぜたくはないんですよねえ。以下、更なる例とそれに対する考察を幾つか:

  1. ドラマの登場人物も(少なくともヴイチューバーやアイドルよりは)俺の中で演者とキャラクターの人格を切り離す事が出来るので、好きになれます(ドラゴン桜2の藤井とか本当に大好きです)。但し「アニメの方が絵が可愛い」という理由で、俺はドラマは普段は殆ど見ません。*3
  2. AV女優さんを含む性産業に従事する女性も、結構ちゃんと好きです。これは、彼女達が「性を晒す」というリスクを取っている生き様に、敬意に由来する理性的な価値を見出す事が出来るからです。関連して、てめーの面すら出さねえヴイチューバーは、矢張り基本的には好きになりたくはないですねえ。
  3. 音楽、漫画、イラスト、ゲームといった幻術作品は、基本的には作者と作品を切り離して考える事が出来るので、作品側を好きになる事は(当然、沢山)有ります。但し、俺はこの事を強調する為に「誰々(作者名)が好き」ではなく「誰々の作品の中に好きなものが多い」という言い回しを、日常会話の中では採用する事が多いです。アニメキャラも、上で述べた様な人物としての人格の有無よりも、寧ろこの様な「作者から切り離された作品」として見ている事も多い気がします。但し、俺はエロ漫画家をさん付けで呼び敬意を表する事が多いのですが、この現象はここ迄に述べた理屈に全然乗っていない気がします。表現の芸術性に対する理性的評価?
  4. 「最早、裏切られる心配は無い(無さそう)」という意味で、故人や引退したヴイチューバーとかなら好きになれると思います。

 

 っつー事で色々書きましたが、うーん、こうして自分の``感情''を文章化するの、何か「分析している」というよりは、寧ろ「結局は極々主観的で振れ振れな自分の感情に対して、単に屁理屈をこねくり回して``一貫性''を持たせようとしているだけ」な気もしています。要は「言い訳」ですね。しかしながら、仮にそうであったとしても、こうしてはっきりと文章化して公開する事で、以降は本当に書いただけの分はちゃんと一貫性を持って行動しようと襟を正す事は出来る気がするので、無意味ではないと信じる事にしましょうか。

*1:ここで、この手の偶像的職業の人物を論じる際にしばしば話題となる「彼氏を作る」「彼氏がいるのにそれを言わずに活動する」という行為を、俺は「善くない」とは思わない、という立場を取っている事を注意しておきます。この立場は「この種の「女性に対する恋愛的嫉妬心」を表に出す男はダサい」という俺の主観的信条に由来します。但し「彼氏がいるにも拘らず``彼氏はいない''と明言して活動する事」は、単純に嘘を吐いているため、そこそこ善くないとは思います(つっても大した事ねーと思うけど)。

*2:例えば、自分が応援していたアイドルが、おばさんになった時に過去の栄光にしがみついてwithout philosophyな状態で選挙に出馬したりした日には、俺はとても嫌な気分になる事でしょう。

*3:前にツイッターで触れた事が有りますが「現実の格闘技のチャンピオンと刃牙(二次元)のどっちが強いか?」って、そんなもん、強く描いている二次元の方が強いに決まっていて、これは「強さ」ではなく「可愛さ」という属性についても同様だと思います。