予備校講師採用試験に2回落ちた九大チンカス研究員の入試数学語り。

毒舌、下ネタ注意。※年々自信を失い、それに伴って毒もマイルドになってきています。

数学の博士課程。

 数学の博士課程、本当に本当に本当に心からつらかったです。桁違いに優秀でもない限り、俺は下の世代に勧めようとは思いません。しかし、止めても尚「自分は博士行って数学者になるんだ!」と固持する後輩を、俺は心から歓迎したいとも思います。数学は人生を懸けるだけの価値と魅力を持った学問であると確信しているからです。愚かな選択に幸あれ!

やりたい数学。

 やりたい数学が幾つか有ります。大まかに3テーマに分かれています。1つは代数幾何の知識が必要で、取り組むのはもう少し先になりそうです。残りの2つは、関連する論文を一寸勉強すれば取り組めそうな問題も幾つか含まれています。その意味で取っ掛かり易いテーマではあるのですが、一方で主観的にも客観的にも十分な価値が有ると信じています。

 数学、楽しいですね。これ迄、人生とかお金とか競争とか、そういう下らない不純物が混ざった数学しか知らなかったので、とても新鮮です。改めて、きっと好きになれる気がします。

数学者。

 詳細は伏せますが、数学者になれそうです。っつー事で、次は一流の数学者を目指します。結果を見た人が「あーこれはOKAZAKIかな?」とか直ぐに思ってくれる様な、そういう個性的な数学者になりたいですねえ。

博士(数理学)。

 学位記を貰ってきました(授与式はサボった💩)。去年、母ちゃんと電話しながらボロクソに大泣きして諦めようとした博士号です。ご立派な装飾と相まって、何だかとても価値が有るものの様に思えます。しかしながら、これ自体には何の価値も無いのです。価値が有るのは、これからするかも知れない事の方であり、こいつはその為の切符に過ぎない。しかもこの切符、切符のくせに持ってるだけじゃ何処にも行けなくて、ここから進む為には未だ未だ頑張らなきゃいけないんですよね。本当に怠い。

 大学院の5年半は、本当に本当に心の底からつらい日々でした。頑張りたいのに全然頑張れなくて、しかもたまに頑張ってみても「何で俺は博士にもなってこんな簡単な事をしているんだ?」みたいに自分を責めてしまう。殆ど何もしていない筈なのに、精神は日々確実に磨り減っていって、死ぬ程勉強していたのに毎日糞程前向きだった浪人時代や学部時代とは丸っきり正反対でした。2回目の学振に落ちた辺りから食べ物を買う事にも罪悪感を覚える様になり、その頃から精神的に少しおかしくなりかけていた様に思います。*1*2「周りよりも劣っている」という自覚が、これ程迄に人の心を深く傷付けるものなのだとは知りませんでした。中途半端に勉強や運動が出来てしまったせいで、俺はこれ迄、同じ苦しみに先にぶち当たってしまった人達に、随分と酷い言動や態度をしてきたと思います。自分も同じ弱者の立場に置かれて初めて、その苦しみに気付く事が出来ました。まあなので、今後は同じ様にこういうつらさに苦しむ学生に寄り添える指導者になれる様に頑張りたいと思います。いやー俺って本当に優しくて性格良くなりましたね☆

 っつー事で、小学校に入学してから23年半続いた学生生活が竟に終ったんで、取り敢えず一区切りですね。お世話になった方々、本当に有り難うございました。

*1:3回目の学振に落ちた後からは「生まれてきてごめんなさい」という言葉が勝手に脳内再生される様にもなりました。当時はまあいつもの脳内口癖の1つだと思ってあんま気にしていませんでしたが、冷静に考えて少しおかしいですよね。

*2:とは言いましたが、必ずしもずっと鬱々としていた訳でもないんですよね。修論が雑誌に掲載されたり一寸した賞を貰ったりはしていた影響か「俺はこのままで良いんだ」みたいに不自然に明るくなったりする時期も定期的に在りましたし。SASUKEという別の生き甲斐がちゃんと有ったのもでかかったのか、完全におかしくはならずに済んでいた気もします。但し「洋書や論文をちゃんと数学として読む」という事は本当にトラウマになっていて、全然出来ていませんでした。

``数学に対して誠実''。

 最近、時々「数学に対して誠実」と言ってもらえる事が有ります。でも、こう言われる事に対して何かあんまり良くない感じの快感を覚えたりするので、そんなに誠実ではないと思います。後は、単にびびって予防線張りまくってるだけ説。だけど、こうして自己批判的に考える事が出来る自分の事は大好きです。あー自分の事好き過ぎて困るわー。いや嘘、そんなに困ってねえや。

深夜の雑記。

 生活のリズム終ってて夜の12時前に起きてしまいました💩ただ、後ろに6時間くらいずらせば丁度良いので、悪くはないと思います。

 さて、以下のツイートをしようとしたのですが、長くなったのと自分語りが過ぎる気がしたので、こっちに書き散らかしておきます:

 

 俺って気紛れに建物に迷い込んだ虫を外に逃がしたりはするんだけど、一方で便利だって理由で確実に虫を叩き殺しているであろう電車や飛行機には乗るし、てかそもそも虫の好き嫌いも見た目や大きさで差別しているし、何処迄も偽善者だなあ、って思います。ただ一方で、こういう事ちゃんと認識して考える自分の事は大好きです。自虐するのって結局は「こんな可哀想な自分を見て」「こんな悩んじゃう真面目な自分を見て」みたいな自己愛拗らせ現象の場合が殆どだと思うんですよね。だったら素直に「~な自分が好きです」て言った方が、精神衛生的にも良い気がしてきています。あーでもちゃんと周りを笑わせられる「ネタとしての自虐」は、愉快で良いものだと思います。しかしながら、傍から見ててどっちの自虐か判り難いし、んで自己愛の方だと思わせてしまうと寧ろ嫌な気分にさせちゃうだろうから、その意味でとても難しい芸風だとも思っています。

 俺は性格が良いので、俺と話している人がそれを理由に楽しくなってくれると嬉しいです。だけど俺は人の気持ちがよく判らないので、その結果、寧ろ人を怒らせてしまう事も多い気がしていて、それは少し悲しいです。「他人との会話」という話題に関連して、俺ってとっさに言った一言で人を不快にさせてしまう事も割と有るという自覚が有る一方で、それを気にし過ぎると今度は人とのコミュニケイションに齟齬が出るから気にし過ぎない様にもしていて、この辺の匙加減も難しいと感じています。「それだけ考えてやってんのがあんな会話かよw」みたいな火の玉ストレートなツッコミは無しの方向でいきましょう。