数学には「王道」と見做されている分野が在ります。特に俺が身を置いている分野である数論では、``岩澤理論''、``ガロア表現''、``モジュラー形式''、``ゼータ函数''とかですかね*1。先生方や先輩方で、これ等の数学の「数学的重要性」を説いて俺にお勧めをしてくれる方が割といるのですが、俺は「皆やっているから」という(数学の内容とは一切関係無い)理由により、これ等に人生を割く予定は有りません。 こういう事をやったところで、俺は優秀な人達の完全下位互換にしかなれません。序列がはっきりついてしまう世界で勝負する事は、(俺の才能では)得策ではないと判断しています。こういう世界に俺の居場所は無い。頑張って論文を書いたところで、それ等が価値を持ち続ける可能性はほぼ無いと言って良いと思います。数学の世界に生きた価値が無い。
一方で、親しい友人でこの世界に十分太刀打ち出来そうなのが何人かいて、俺はそいつ等の事はまじで応援しています。 俺は性格的に知らない人を応援する事はほぼ出来ないのですが、一方で(アイドルやスポーツ選手を応援するファンと同じ様に)「誰かを応援したい」みたいな欲求も恐らく持ち合わせているので、これを身近な人間で満たそうとしているのだと思います。``応援している''という表現も、或いは少し良い人振った表現かも知れません。要は「俺が「勝てない」と思わされたこいつ等が、この恐ろしい世界で何処迄戦えるのかを見てみたい*2」みたいな感じです。
注意:一応、言っておきますが、俺は自分の分野が``脇道''だとは微塵も思っていません。単に日本で流行っていない(後、技術的にそんなに高度でない)だけで、数学の内容的にはちゃんと良い分野だと思っています。まあだから「1. 内容はちゃんと良くて(と少なくとも自分は思えて);2. しかも技術は割と簡単なもので済んで;3. その上、周りと被らない」というものが既に在るので、態々2, 3の良さを捨てたところに行く意味が無いと思っています*3。
追記:序でに毒も一寸吐いておきましょうか。「自分がよく知っている分野でなら数学的興味だけからくる研究を称賛するのに、自分のよく知らない分野の研究には途端に応用の存在を要求する」というタイプの研究者が意外といるのではないかと危惧しています。「自分の好みによって判断基準が振れていて、しかもそういう事をセルフチェックする習慣も無さそう」という事で、俺はそういう人は(その分野での能力がどんなに高くとも)ちゃんと頭は悪いと思います。「単に俺が人間不信というだけで、そんな研究者は滅多にいませんよ」というのが現実の世界だと良いのですが、さて。