予備校講師採用試験に2回落ちた九大チンカス研究員の入試数学語り。

毒舌、下ネタ注意。※年々自信を失い、それに伴って毒もマイルドになってきています。

数学の能力の分類。

 上手く出来るか判らねえけど、ちょっちやってみるわ。

 

1. 問題を新しい発想で解決する能力。

2. 問題を既存の知識を組み合わせて解決する能力。

3. 問題に対して「何が出来れば最終解決に近付くか」という道筋を見出す能力。

4. 問題を新しい見方で設定する能力。

5. 問題を既存の知識を組み合わせて設定する能力。

6. 定義や定理を基に1行1行の正しさを確認しながら議論を進める能力。

7. 定義や定理の気持ち/イメージを汲み取る能力。

8. 定義や定理の気持ち/イメージを汲み取れなかった時、それ等を取り敢えず形式的に取り扱う能力。*1

9. 数学の文章の行間の種類を見抜く能力(つまり「既存の知識を組み合わせて突破出来る行間か」「その場に合わせたパズル的な新しい発想が必要な行間か」「そもそも文章が数学的に間違っているか」等をを見抜く能力)。*2

10. 難しい数学の文章の要点を見抜き、細部の理解を飛ばして消化する能力?

11. 数学に四六時中夢中になれる能力(``数学を感情的に好き'')。

12. 数学という学問に対する執着心(``数学を理性的に好き'')。

 

これくらいっすかねえ?*3

 

 じゃあ1番やりたかった「俺はどの能力が高い/低いか」ってのを考えていきます。

 恐らく1(だけ)が、IQに依存する能力なんじゃないでしょうか。俺のナチュラルなIQは116なので、恐らくこれはそんなに高くない。学生にもちょいちょい負けたりします。

 2は:

ナチュラルに高い人もいる;

②数をがむしゃらにこなした事でナチュラルに上がる人もいる;

③大学入試の``横割り''とか言われる参考書で後天的に上げる事も出来る、

という能力だと思っています。俺は「入試数学の掌握」に育ててもらったお陰で、この能力は後天的にそこそこ高いと思っています。この能力を後天的に上げた③のタイプの人間の場合、この経験を通じて「或る種の数学力はメタに使い分けが出来る」という事にも気付き得ると思っています。*4

 3は「これを示すにはこれくらいが言えれば十分で」「これを示したかったらこれくらいは言えたくて」みたいに、難しい入試数学以上の息の長い問題に対して戦略を立てる能力です。要は「理詰めに考える能力」或いは「良い補題を立てる能力」と言っても良いかも知れないです。*5いつ培われたのかは知らないのですが、俺は九大数理で「補題王」と呼ばれていた程度にはこの能力は高いです。

 4は俺無いなあ。正直、よく判らん。

 5自体は俺は結構高いと思っています。しかしながら、研究レヴェルだと前提となる知識をあまり持っていないせいで、トリヴィアルな問題設定をしてしまう事が多いでので、何か残念な事になっている感じもします。ここちゃんと自覚していないと、トンデモ数学の始まりだと思っています(その意味で俺は研究者としては結構危うい気がしている)。

 6は出来るか出来ないかの白黒はっきり付く能力だと思っていて、俺(に限らず数学者)は完璧に身に付いている筈です。これが身に付いているか否かがトンデモとまともな数学の人の1つの大きな境界であると俺は思っています。最近、ツイッターで騒がれている「数学は独学出来るか問題」で「独学出来る派」の人達は「世の中の人は皆、この能力を持っている」という事を前提にしている気がします。この前提は自明に不可能な訳ですが、それでも以前の俺は、訓練で誰でも身に付けれらる能力だと信じていて、でも如何やらそれも違うっぽいんですよねえ。俺の場合は、学校で教師が言っている事を盲信するのが嫌で「気に入らない事は自分が納得する迄考える」ってのを小学生の頃からずーっとやってきたので、地頭がそこ迄良くなかったにも拘らず、この能力が自然と培われたのだと考えています。

 7は俺、無いよねえ。イプシロンデルタが何で収束を表せているのかの気持ちも理解するのに1週間くらい掛かったし、単体複体のホモロジーが``穴''を表しているってのの気持ちの理解には確か1,2ヶ月掛かったんじゃないかなあ?まあ無いから判らないんだけど、これ無いと恐らく幾何はしんどいですよねえ。

 8は俺は学部2年の頃にはナチュラルに身に付いていました(「群と位相」でジェネトポを突破出来た)。加えて、或る程度メタに数学を学べる様になると、使い分けも出来る様になる筈です。ただ俺は、記号が複雑だったり息が長い議論だと、この能力は使えてもそうして議論に付き合う事自体が好きではないんですよねえ。これは根性の問題だと思います。

 9はこれがまじで俺には全く無いです。だから上野代数幾何も論文も読めねえ。しんどー。

 10はいよいよ、存在するか如何かも俺はちゃんと判っていないのですが(だから``?''を付けている)、研究者としてバリバリやってる人って、如何もこの能力で押している人が結構いるっぽいんですよね。「ファクトにする」ともどうも違うっぽい(?)。研究集会とかモチーフとか保型形式とかバリバリ使っている人、沢山いますけど、話を聞いているとその人達がハーツとか細かな収束性とかちゃんと解っているかと言うと、どうもそうでもないっぽい。かと言って、トンデモをやっているかと言われるとそうでもないっぽくて、俺にはもうよく解らんです。

→これなんですけど、この能力が凄く高い友人に聞いたところ、彼はちゃんと「解っているところ」と「解っていないところ」の区別を完璧に付けながら必要そうなところを摘まんでいるっぽいです。いやまじ凄え。俺には絶対に真似出来ねえ。「バランス感覚が凄い」みたいな感じですかね?

 11, 12は俺の自己流の表現です。2023年現在、俺は「好き」を「感情的に好き」と「理性的に好き」に分けています。*6それで言うと、俺は11は自分が得意な分野に対してしか発揮出来ないです。だから上野代数幾何を夢中で読むとか、多分もう無理ですねえ💩一方で12は間違い無く極めて高いですね。何なら、これが俺の数学の全てであったと言っても過言ではない。「数学を続けていない岡﨑勝男が生きている価値は無い」とか割と本気で信じているので。

 

 先ず、現状の入試等の数学の試験では、受験産業の指導体制がアンバランスに発展している事により、基本的には4以降の能力が殆ど必要とされないんですよね。なので、大学に入って自分でちゃんと頭を使わなければならない段階になって、数学の脱落者が続出する現状が在る気がするのです。だからと言って高専の様に高校以前の早い段階から放任主義で量だけ沢山与える教育をやれば4以降の能力が身に付くかと言われると、やっぱり単に脱落者が出るタイミングが早まるだけで何の解決にもならない気がするんですよね。*7なので何とか親切にしつつも4以降の能力にも触れられる様な講義とか出来ないかと考えてはいるのですが、中々に難しいですよね。

 また、上述の通り「或る種の思考法をメタに使い分ける」というのも数学を学ぶ上で重要なものである気がしています。てか12って要は「自分は数学を好きという立場を取る」って事ですけど、これをメタに認識出来ないと「好きな筈の数学を何で毎日やれないんだ?自分は本当は数学を好きではないんじゃないか?」みたいな数学科学部生あるあるな悩みにいつ迄も囚われてしまう事になると思っています。

 

 んー。何か何も考えずに文章を書き殴ると、着地点が判らなくなっちゃうから、この辺で止めときます。

*1:定理の場合、一寸違うかもだけど、所謂「ファクトにする」ってのもここに入れる。

*2:見抜いた行間を埋める能力は各々、1,2,6に包含される。

*3:数学自体に対する能力であり「申請書を書くのが上手」みたいな``数学コミュニティ人としての能力''ではありません。

*4:この意味でも、入試数学の掌握は2023年現在の岡﨑の数学の全ての基礎になっているんですよねえ。

*5:必要性の方は補題じゃないかもだけど。

*6:長くなりそうなので具体例を挙げるに留めますが、例えば「異性を好き」という感情の場合、「兎に角、顔や体形が好きで、その人の事で頭が一杯」みたいなのが前者であり、一方で老夫婦が「自分はこのパートナーを大切にすると決めた」みたいなのが後者に近いのではないかと考えています。

*7:我々ゆとり以前の日本の数学教育は、概ねこんな感じだったんじゃないですかね。