予備校講師採用試験に2回落ちた九大チンカス院生の入試数学語り。

毒舌、下ネタ注意。※年々自信を失い、それに伴って毒もマイルドになってきています。

古文漢文教育について思う事(素人の感想)。

 折角、三角函数の話が出たので、要不要論のもう1人の人気者、古文漢文について思う所を述べておきます。先ず「俺は以前、古文漢文不要論者だったが、最近は少し意見が変わってきた」という事を述べておきます。

 先ず、インフラ的な要不要という文脈での質問として「古文漢文の知識が多い人が減る事によって国民の生活にネガティヴな影響が出る、みたいな職業は存在するか?」というものを考えます。これ、俺は恐らく「ノー」なのではないかと思っています。*1*2なので以前の俺はこれを以て``古文漢文を学校で教えなくて良い''という考えだったのですが、そこに少し変化が有ったので、それについて述べていきます。先ず、先の質問の答えが「ノー」である事から、矢張り大衆の古文漢文に対する知識量の多さを重視する必要は恐らく無いだろうと考えます。もう少し簡単に言えば「単語テストをしてその点数で優劣を決める」みたいな教育は、まあ不要だと思います。恐らく、かつての俺や他の古文漢文不要論者の古文漢文に対するヘイトの最大の原因は、この「暗記テスト」なのではないかと思っています。「ほいなし」とか「るらるるらるすさすしむずじむむずましまほし…」とか、これ等は本当に私的にも公的にも不要な知識であると俺は信じています。そして、恐らく(本当に古文漢文を好きな指導者であるなら、)自分の好きな科目がヘイトを集める事はほいなき事かと思います。*3従って、古文漢文教育は、基本的には知識量よりも「負担は減らしつつ、且つ興味を持つ学生を増やす」という点を重視すると良いんじゃないかなと思います。個人的に思う具体案を1つ提示すると、知識量を評価基準から撤廃し(つまり単語テスト廃止)、寧ろ「よく解らない言語を単語やら文法やら色々と調べながら読む練習の素材」として利用し、また文章としての内容をちゃんと楽しむ事に重点を置いていくと良いんじゃねえかなあ、と思います。その素材として古文漢文を公教育で用いる事には「矢張り我が国のかつての言語である」「関連して、少なくとも他言語よりは日本人にとって馴染みやすい筈である(大衆向けの教材として手頃)」という2点で十分なのではないかと思います。この方法でもちゃんと本当に興味が有る人(つまり、将来、国文学者みたいなまじで古文漢文使う超プロパーな職業に就く人)はちゃんと排出する事が出来ると思います。少し自分語りをすると、俺、文法の暗記が兎に角嫌過ぎて、大学入試では古文完全に捨ててセンター試験は全部1をマークしたんですが、一方で源氏物語の若紫の話とかはちゃんと大好きで、今頃になって漫画買ったり、(本当に極たまにだけど)気になった場面の原文の1文を調べながら訳したりします。この切っ掛けって、高校の頃の国語の先生が授業の合間に面白そうに話していた(源氏物語に関する)余談とかだったりするんですよね。*4っつー事で、下手に「暗記させて試験」みたいな事をさせずに、内容をちゃんと楽しむ余裕の有る教育にした方が、ずっと科目としての良さが活きるんじゃねえかと個人的に思うのです。

 

 以上、全て完全なる素人考えであり、これを基に俺以外の人間に如何なる影響を及ぼす事も意図していません。

*1:因みにこの質問の「古文漢文」の部分を「三角函数」に変えると、答は先ず間違い無く「イエス」なのではないかと思っています。

*2:断定はしていません。(挑発ではなく純粋な興味として)若しそのような職業に心当たりが有る方がおられたら、是非コメントで教えてください。

*3:この点は他の科目の指導者についても同様だとは思うのですが、ここでその科目に関する先の質問に対する返答が「イエス」であったか「ノー」であったかによって判断に差が生まれると思っています。つまり、数学は多少、大衆からのヘイトを集めてでも、大衆全体の知識量を上げる教育をしないと、実際にインフラレヴェルの悪い影響が出るのではないかと考えられるのです。

*4:因みに高校の頃の古文の授業は、1年生の本当に初めの方で「るらるるらるすさすしむ…」を思考停止で丸暗記したのと、たまに先生がする雑談に耳を傾けていた以外は、基本的にずっと漫画読むかゲームするかしてましたねえ。文法事項やらを「覚えなさい」みたいに言われるの、本当に嫌でしたねえ。