予備校講師採用試験に2回落ちた九大チンカス院生の入試数学語り。

毒舌、下ネタ注意。※年々自信を失い、それに伴って毒もマイルドになってきています。

「人を信頼する」という事について。

 ツイートしようかと思ったんですけど、長くなりそうなんでここに書きます。基本的にこういうのはワード(最近はテフかな?)で文章にして自分のパソコンの中だけでしまっておくのですが*1、今回の話は何処かしら人目に付き得る場所に書いてみたくなったので、そうします。

 

 先ずはタイトルの「人を信頼する」という表現について、ここ最近の俺の考えの変遷について整理しながら述べてみます(考えながら書くので、かなり行き当たりばったりだと思います):

 俺って最近迄「人を信頼する」という言葉の``定義''を「その人に``裏切られて``も許す」という風にしていたのです。しかしながら、こういう言い回しをしてしまう事自体が、結局、人から``裏切られる''可能性を想定している、もっと言えば、人から``裏切られる''事を恐れているからこそのものなのではなかろうか、と思った訳です。だって、俺は家族、特に両親を心から``信頼''していますが、今「両親を``信頼''している」という表現をした際、万が一にも、うちの父ちゃん母ちゃんが俺の事を``裏切る''なんて事を想定してはいないからです。その意味で、結局、俺が本当に``信頼''しているのは両親くらいのもんであり「俺って他人を信頼する事は出来ないのだろうなあ」なんて思ったりもした訳です。しかしながら、ここで注目したいのが、ずっと引用符を付けてきた通り、今度は「裏切る」という言葉の定義を確りせんとならんだろう、という事についてです。と言うのも、「人が人を裏切る」という行為には、大きく次の3通りが在ると思われるからです:

1. 裏切った側に悪意が有る場合;

2. 裏切った側に悪意は無くとも落ち度は有る場合;

3. 裏切った側に悪意も落ち度も無い場合。

このままだとやや抽象的ですので、具体例で考えてみましょう。例えば、「XがYからお金を借りる」とします。この時「端から返すつもりが無い、何なら相手を困らせる目的で``借りる''」という場合が、1に該当します。一方で「最初は返すつもりだったが、その後のXの計画性の無さや怠慢等が原因で、お金を用意出来ずに返せない」という場合が、2に該当します。そして「返すつもりで借りたが、病気等で返せなくなってしまった」というのが、3でしょうか。勿論、この区別も未だ未だ完璧ではありません。例えば:

・2の裏切りの理由も、「計画性が無い」と「怠慢」ではかなり別物でしょう(前者は単に頭が悪いだけだけど、後者は矢張りXの人間性の問題を孕んでいる様に思われる);*2

・1と2は(Y側から見た際の)区別が曖昧。つまり、Xが最初から悪意を持っていたのか否か、Yからは結局は判らない;

・2と3の区別も曖昧。つまり、先程「病気で返せない」というのは3の例として挙げましたが、その病気ってのが生活習慣病みたいに本人の不摂生に由来するものだったりしたら、2の「計画性の無さ」と区別が曖昧になってくる訳です。

とまあ以上、この区別が必ずしも完璧なものではない事は認めた上で、例えば先の自分の親の話で言えば、2, 3の裏切りは十分想定出来る訳で、その意味で俺の親への信頼は「2, 3の裏切りは許すけど、1の裏切りはそもそも想定していない」という種類の信頼と言えるでしょう。あーてかそもそも1, 2, 3の区別が曖昧な中で「1の裏切りは想定していない」という風に思っている事こそも、相手への信頼の度合いと言って良い気がしてきました。つまり、自分がYになったと思い、終ぞXが金を返さなかったとして、その裏切りが2と3(或いは1と2)の区別が付かない時に、Xは2と3(或いは1と2)のどっちの裏切りをしたと見做すか、という事が、正にYのXへの信頼度合いを表している様に思います。俺の場合で言うと、仮に親から(傍から見たら)1と2の区別が付き難い裏切りを受けた場合、俺は無条件に2だと見做す、という感じですかね。即ち:

・如何いう裏切り迄なら許すか;

・如何いう裏切りかの区別が付き難い裏切りを受けた場合、ポジティヴに解釈し易いか、或いはネガティヴに解釈し易いか,

という2つの点が、相手への信頼度合いを示していると言えるでしょう。後者について言えば、自分から相手への好意の他に、相手の能力等の高さへの評価も判断材料となり得るでしょう。例えば「俺はYを個人的には余り好きではないけど、でもYはそんな事をする様な卑劣な人間ではない」みたいな判断の仕方も、十分在り得ると思うのです。

 ここ迄くると、かなり整理されてきた様に思います。そして、俺に関して言えば、矢張り親並みの信頼を寄せられる人間ってのは、この先、恐らくは出てこないだろうとは思いますね。それは単にこちらの頭の中での好意だ何だだけの話ではなく、相手の立場も考えての事です。つまり、大体の人は先ずは1番可愛いのは(俺同様)自分だろうし、そうでないとしたら、その愛情が向けられる対象は、矢張り家族なのだと思われます。他人は所詮、他人でしかないのです。ですがこの「他人は所詮、他人でしかない」という考えは、別に全然、ネガティヴなものではない様に思います。だって、仮に他人に対して家族以上の信頼を寄せる様な人間がいたとしたら、それはもう信頼なんてものではなく、単なる依存でしかない気がしますからねえ。

※あーいやてか何か言葉遊びをし過ぎて混乱している感じがしますね。結局、上で言う``裏切り''の内、悪意なり人間性の問題なりが在るものだけが、一般的な意味で言うところの「裏切り」ですかね。後は「裏切りかそうでないかが曖昧なものを、裏切りであると判断し易いか否か」という事ですね。いやー本当、文章にすると色々とスッキリしてきて良いですねえ。ついでに「こんなに沢山文章を書ける俺」にも酔えますし♪ っつー事で以上、纏めると:

・悪意や人間性の問題なりが有った上で、こちらに不利益を生じさせる行為を「裏切り」と呼ぶ;

・「他人に対する信頼」の定義は、「裏切りを1度に限り許す」とする(系として、1度裏切った相手は、許しはしてももう信頼はしない);

・裏切りかそうでないかが曖昧な行為をどちらと判断し易いか否かも、相手への「信頼度合い」を表している;

・家族等一部に対する「信頼」は、そもそも裏切りを想定すらしていない;

・では他人への「信頼」の定義は、暗に裏切りを想定した(恐れた)ものという事にはなるが、「他人は飽く迄、他人である」という大前提を考えれば、これは必ずしもネガティヴなものではない;

・矢張り俺は俺の事が好き。

 

 と言う事で、以上、書いている間に段々と俺は頭の中は整理されて満足してきたのですが、満足ついでに最後に自分語りもしておきましょうか(俺は兎に角、俺の事が好きなもんで):

 そもそも、何で俺はこんなに親を信頼しているのかって話なんですが、1番の理由は、小学生の頃、夜中にでかい地震が在った時に、うちの親は真っ先に俺(と妹)を守ろうとしたんですよね。子供ながらに「この人達って、俺達の為なら「自分の命を投げ出す」という判断を瞬時にする人間なんだ」と感動した覚えが有ります。これが間違い無く、俺の両親への全幅の信頼の1番の理由です(勿論、これだけでは全くなくて「28歳(2021年4月現在)にもなって仕送りを続けてくれている」とか他にももっと色々在る訳ですが、余り話過ぎると長くなるんで、ここではこれだけで)。しかし、最近思うのは、この出来事は俺の「人を愛する」という事への呪縛になっている気もするという事です。と言うのも、俺は俺自身の事がもう本当に可愛過ぎて、うちの親が俺に対してして見せた「自分の命を投げ出す」というレヴェルの愛情を自分以外に向ける自分を、全く想像する事が出来ないのです。勿論、世の人々を見るに、自分の中に「潜在的な他人への愛情」なんてものが有ると事前に見極めた上で結婚だの子供を作るだのする人間は殆どいない訳で(恐らくはうちの親もそう)、その意味では俺も「結婚してから/子供が出来てから変わる」という可能性も在る気はするのですが、それにしても俺は本当に自分の事が可愛過ぎて仕方が無い。そして「子供よりも自分の方がずっと可愛い」という``親''は、矢張りそれなりに見苦しい気がするので、そうはなりたくはない。うーん童貞拗らせ過ぎているんですかね?自分じゃもう全く判らん。

*1:勿論、これは「こんな几帳面な俺を皆知って」アピールです。

*2:ここで「頭が悪い」という表現も、矢張り定義が難しいです。つまり、一般に「頭が悪い」という表現は相手へのかなり強い馬頭である訳ですから、寧ろ人間性が劣っているという人間にこそ言い放ちたくなる訳です(と言うか俺は普段、人間性が劣った人間への攻撃として使う場合が多い)。但し、これも話し出すとまた長くなりそうなんで、ここでは余り触れない事にします。