話を引っ張って恐縮なのですが、先日の某ドキュメンタリーに関連する話題です。あれについて「宇宙数学について``解った''」みたいな発言をしている人が見られたり、或いはユーチューブで「宇宙数学について``解説''します」なんて動画がわいたりしています。結論から言えば、あの番組では数学の解説は一切成されていないし、またその手の動画に数学の解説は一切含まれていません。なのに何故、この様な発言や動画がわいて出るのか、少し考えてみたので、それを書いてみます。
恐らく、世の中の多くの人が「数学の理解」と「サイエンスの理解」を混同している事が原因なのではないかと考えられます。
先ずは後者「サイエンスの理解」について、(人類が実行可能な)サイエンスは基本的に、観測結果を基に、帰納的に理論を構成します。ここで、この「観測結果から帰納された理論」が真に正しいか如何かを確かめる術を我々人類は持ち合わせておらず、(常に疑いの目を向けつつも)基本的には「理論部分の正しさは信じて、それを基に理論展開を行っていく」というのが、サイエンスの基本的な流れであると思います。*1なので我々一般人がサイエンス(理科)を学校で習った際には、(尤もらしい説明は色々と在ったかもだけど)最終的には教科書、参考書、教師の文言を信じるより他無かった訳です。*2即ち、我々人類に実行可能なサイエンスは、最終的には「帰納的な知を盲信する事」へと帰結され、これが我々のサイエンスに対する「理解」となります。
一方で、数学は原理的には1行1行の正しさを全て自分で確認する事が出来ます。*3定理や公式には全て証明が付いていますし、何なら理学部数学科では「定義が定義になっているか?」っつーとこ迄疑って、確認作業をおっぱじめたりします(所謂「well-defined」の確認)。これが数学に於ける本来の「理解」です。しかしながら、多くの人はこの「数学の理解」を終ぞ身に付けずに学校教育から離れてしまっているのではないかと推察します。即ち、定理や公式の正しさを「自分で正しさを確認すべきものである」と認識せず、単に「教師が正しいといっているから正しい」というレヴェルの``理解''で終え続けてしまっている。つまり、先の「サイエンスに対する理解」と同様の方法を、数学に対しても適用してしまっている。「証明」の概念も「自分が正しさを納得する為の確認作業」ではなく、時速を求めたり方程式を解いたりするのと同列の、単なる「問題の形式」程度の認識しかされていないのではないのでしょうか。これが、自分が思う「解っていないのに``解った''と主張する系の人間」が発生する原因なのではないかと推察します。即ち、彼等は本当に解ったつもりでいて、その根拠は「ネットで調べたらそう書いてあるから」「沢山の専門家がそうだと言っているから」なのです。
「数学の理解」に対する誤った認識が流布している事、これは明らかに我々数学側の人間に責任が有り、そして(現状の)我々の敗北でもある様に思われてなりません。
以上、考えた事の言語化を何とか図ったのですが、段々と自分でも何言ってんのか解らなくなってきた。未だちゃんと考察を言語化出来てねえ。
追記:
思えば俺は、数学のこの「正しさを自分だけで確認する事が出来る」という部分にも、大いに惹かれてきた気がします。ずーっと(心の中で)教師達を馬鹿にしてきた人生だったので、彼/彼女等の言う事を単に信じる事がとても嫌で、しかし数学は唯一、この「教師の発言を信じる」という事を一切放棄しても展開する事が可能な教科でしたからね。