予備校講師採用試験に2回落ちた九大チンカス研究員の入試数学語り。

毒舌、下ネタ注意。※年々自信を失い、それに伴って毒もマイルドになってきています。

 就活やら就職前のごたごたで尊厳を安く切り売りし過ぎたせいで、何か``立派な社会人にならなきゃいけない''みたいに思い込んでしまっていたのだけど、俺は「周りから``ヤバい奴''と思われても全然構わない」という立場だったのを完全に忘れていた。

 俺が今後したい事は「自分が納得のいく数学の研究を目指す事」と「(学生にとって)良い先生になる事」と「SASUKE出場を目指してトレーニングを続ける事」の3つだけであって、それ以外は基本的に全て不純物なんです。*1

 従って、上記3つに悪影響を及ぼしそうな周りの声は、場合によっては意識的に無視して良いという事にします。

*1:後は「自分に良くしてくれる人達に誠実に対応する」というのも有るのだけど、これを意識し過ぎるとしんどくなる事が多いというのに、最近、気付いたので、こいつは優先順位を1つ下げて努力目標程度にしておく。

雑記。

 明後日(厳密には明日)から研究集会の世話人で朝早いのだけど、相変わらず生活のリズムが終っていて全然寝られないので、雑記でも書いておこうか。*1

 

 「他人より劣っている」という自覚や他人から認めてもらえない苦しみ、そしてそのせいでやらなきゃいけない事から逃げ出したくなる気持ち、こういうのは本当に痛い程によく理解出来ると思う。

 よく言われている事だと思うけど、SNSのせいで今の学生達は、我々が学生であった頃よりも観測可能な他者の数が格段に増えてしまっていて、そのせいでこういった負の感情に囚われ易い環境に置かれていると思う。 そういう学生に対して何かしら助けになれる様な教員になりたい。

 しかしながら一方で、経験的に、俺は他者に対して踏み込もうとし過ぎて失敗をする事が割と多いのではないかとも思っていて、学生との距離感を如何していくべきなのかは、全く判らない。恐らく最初の1年は学生との距離感について何回かミスをするのではないかと予期してはいるのだけど、それを恐れていては恐らく仕事にならないので、まあやらかしてしまった時は素直に学生にごめんなさいすれば何とかなるだろうと開き直って、あまり深刻に考えない事にしようか。

*1:因みに、ここ数日は引っ越しや健康診断等の雑務が大量に有って、入試数学をする暇もやる気も一切無い。

俺の恋愛歴と関連事項。

 序でにもう1つ自分語りしとくか。たまに聞かれる、俺の恋愛歴についてです。

 ``歴''と言っても、俺が女の子をちゃんと好きになったのは恐らく過去に1回だけで、それは中学の頃、同級生の子が相手でした。とても大人びた美人な子で、今思えば俺とは如何考えても不釣り合いだった気がします。30にもなって中学の頃の事をこう表現するのは少し恥ずかしい気がしますが、一応、世に言う「付き合う」という状態になり、何度かデート的な事もしました。ですがその度に、何だか住む世界というか身分というかの違いを感じたものです。いやー甘酸っぱい思い出です。

 他にも高校の頃と大学初めの頃に1回ずつ、周囲に``誰々が好き''と公言した事が有るのですが、これ等は今思えば、その相手が好きと言うよりは、単に「恋人が欲しい」という感情に由るものであった気がしていて、ちゃんと相手に目が向いていたのは、前述の1回だけな気がします。

 その後は「デート代を自分で稼いでいないのに恋愛をする資格は無い」みたいな面倒臭い思想が強化されてしまって、また学部の後半からは徐々に自分の存在価値に対する自信を失っていった事から、現実の女性に好意を向ける事を意識的に避ける様になっていった気がします(てかそもそも女の子の知り合いが殆どいなかったしね)。

 以上の経緯を経て、来春から晴れて``恋愛をする資格''が有る身分になれる訳で、ぼちぼち現実の恋愛に再挑戦してみようかと思うのですが、ここで1つ、一寸した悩みが有るのです。と言うのも、俺は現在「codimension 1 (i.e., 2次元)の女の子が好き」という感情が滅茶苦茶に強化されてしまっていて、現実の女性をちゃんと好きになれる気がしないのです。*1*2勿論、これは感情の話であって、数学に対するそれの様に、理性側で現実の女の子を好きとする事は可能だと思うのですが、まあでも中学の頃みたいな「相手の事で頭が一杯」みたいな状況にはもうなれないんじゃないかと危惧しています。

 まあ後は、数学で散々に思い知った様に「理性でものを好きでいる」という事は、本当に本当にとても疲れるんですよねえ。

 

 以上、2次元キモオタの末路でした。

*1:‘‘codimension 1’’なので適当な可逆層と対応している訳ですが、この(3次元)\twoheadrightarrow(2次元)という射影は不可逆な気がしてなりません。自分でも段々、何書いてるのか解らなくなってきました。

*2:因みに俺はアニメや漫画のキャラクターは、単に「2次元」と言うよりも、虚構上のものである事を強調する意味も込めて「\mathbb{C}上1次元」と言う方が好きです。

まじの号泣。

 大人になると、感動してうるっとする事は有っても、まじの号泣って中々無いですよね。小学校以前の事はあまり覚えていないのですが、中学校以降でも、俺は6回、まじ泣きした事が有り*1、その記録も兼ねて少し自分語りをします。

 

 1回目と2回目は、シニアリーグというところで野球をしていた中学1年生の頃です。当時もそんなに運動は苦手ではなかった筈なのですが、太っていたのと、何より俺は野球のボールが恐かったせいで(じゃあ何でやってたんでしょうね)野球は滅茶苦茶下手で、それが原因でめっちゃ虐められていました。んで泣かされたのは、送迎中の車の中で5対1でボコボコに殴られた時と、合宿の夜に寝ていたら突然顔面をサッカーボールキックされて鼻血が出た時の2回です。いやがちの体育会系の虐めって「止めて」って言っても(比喩ではなく実際の)暴力を振るわれるんで、本当にやばかったですね。俺以外にも、前歯を折られた奴と目に何かされた奴がいました(失明はしていなかった)。この体験は、その後暫くの間、俺に「能力が低いと殴られる」「能力が低い奴は殴って良い」という考えを植え付けてくれちゃって、今思えば寧ろこっちにこそ困らされました。*2

 

 3回目は中学2年の頃です。経緯として、中学のある先輩が、当時、俺が仲が良かった女の子を好きだと公言して、んで俺がその先輩につっかかっていって揉めたのですが、あろう事かその先輩、部活中の俺に殴りかかってきて、そのせいで部活動中の問題として部全体が停部措置になったのです。

 んでこいつについての部内ミーティングの時にある友達が俺を泣きながら庇ってくれて、それにつられて俺も泣いちゃったんですよね。あいつ、元気してるんかねえ。*3

 

 4回目は高校のバドミントン部最後の大会で、県大会出場を懸けた試合にファイナルセットの末に負けた時です。自分達のスペースに戻った後、ダブルスのペアの後輩の前で滅茶苦茶に泣いてしまいました。いやー青春って感じで、今思えば本当に良い思い出です。

 

 5回目は浪人を経ての大学1年の頃です。経緯として、俺って中学1年の頃から右脚に「ガレー硬化性骨髄炎」という病気を抱えていました。*4これは自己免疫疾患の1種で、免疫が自分の骨を異物と判断して攻撃するというものです。症状としては「大体2,3ヶ月に1回、2,3週間の間、夜も眠れない程度の痛みがずっと続く」というものです。*5

 んで、九大病院の先生に「治療方法は無く、鎮痛剤による対処療法だ」と言われてしまい、その報告を母ちゃんに電話越しにしている時に、まあ滅茶苦茶に泣きましたねえ。*6これ、本当にしんどい病気で、病名も判明してやっと治療が出来ると思った矢先の出来事だったんで、かなり精神的にやられてしまいました。こいつは俺が部活や勉強について「これだけのハンデを抱えている俺にすら勝てないゴミ共」と周囲をボロクソに見下す拠り所にもなっていました。

 一応、その後の病気の経緯についてですが、セカンドオピニオンの為に大学を休学し他の病院に色々と相談をしていたところ、帝京大病院の骨髄炎の先生が「この種の免疫性疾患は年齢と共に落ち着く筈で、今後もずっと症状が出続けるとは思えない」と言ってくれて、その通り、その後は段々と症状が落ち着いていって、最後に症状が出たのは確か学部の終りか修士の初めくらいだった気がします。後は、悪い事ばかりではなくて、休学中に暇で数学をやってみたのが、数学科への転学部に繋がったりもしています。*7

 

 そして直近の6回目は、数学を諦めようとした昨年度の11月、これまた電話越しに母ちゃんと話している時ですかね。このブログを書いた手前です。記憶が新鮮ってのもあると思いますが、これが1番しんどかった気がします。1時間ぐらいずっと泣きじゃくっていて、後から聞いたところ、母ちゃんまじで「この子、このまま死んじゃうんじゃないか」と心配していたみたいです。「何も出来なかった」「生きててごめん」みたいな事をずっと言っていた気がします。いやー30手前のおっさん相手に母ちゃん本当に大変だな。

 

 

 こうして書き並べてみると、俺って基本的にネガティヴな事でしかまじ泣きってしてないですね。まあでも幾つかは良い思い出でもあるから良いかな。

*1:多いのか少ないのかは比較対象が無いので判りません。

*2:今は寧ろ自分がやられて嫌だった事は意識的にしない人間だと信じています。これが正しければ、それは「自分がやられて嫌な事は他人にするな」とずっと言い聞かせて育ててくれた母ちゃんのお陰だと思います。

*3:これだけ聞くと良い話な感じですが、少し脱線しておくと、当時の顧問の対応は、教員として善くなかったと思います。部員1人の問題に対して停部措置とかをしちゃうと、その部員への虐めに繋がる危険性が在ると思うからです。その教師は授業の方法についてもあまり良いやり方ではなかったと記憶しているので、教員としての質が低かったのではないかと今でも思います。

*4:つっても病名判ったのはこの年で、それ迄は原因不明でした。通常は顎に出る病気らしく、九大病院の先生も「論文を色々調べたけど、脚は初めてだ」と言っていました。

*5:どうもストレスにも連動していたらしく、浪人していた頃なんかもう1年の1/3くらい症状が出ていた気がします。それでも鎮痛剤飲んで毎日13時間半勉強していたので、当時の俺は本当に少し異常だったと思います。

*6:元々は「骨の癌かも知れない」と言われていたのですが、その時は「やったちゃんと病名が判りそうだ」って俺は寧ろ喜んでいましたね。父ちゃんと母ちゃんは滅茶苦茶心配していましたが。

*7:後は、学部の終りくらいからあまり脚を気にせずに運動出来る様になって、それが兎に角、とても幸せで楽しかったですね。数学がつらくても折れずに済んだの、やっぱ身体動かしてたのがでかかった気がしています。

数学の博士課程。

 数学の博士課程、本当に本当に本当に心からつらかったです。桁違いに優秀でもない限り、俺は下の世代に勧めようとは思いません。しかし、止めても尚、執着する対象として数学を選ぶ決意をした後輩達を、俺は心から応援したいとも思います。数学は人生を懸けるだけの価値と魅力を持った学問であると確信しているからです。愚かな選択に幸あれ!