予備校講師採用試験に2回落ちた九大チンカス院生の入試数学語り。

毒舌、下ネタ注意。※年々自信を失い、それに伴って毒もマイルドになってきています。

SASUKEに出場したい!夢が叶うか如何かという事と、その夢の為に努力する事は、独立である。

 昨日、トレーニングに関する記事を書きましたので、それに関連して、俺が何故トレーニングをしているのか、その理由を少し書かせてもらおうと思います。因みに、これ迄の記事と違って、ほぼ完全に自分語りである事を、初めにお断りしておきます。

 

 ではその理由ですが、まあ表題にも書いている通り、皆様ご存じ、TBS系列で放送されているSports Variety番組「SASUKE」に出場したいからです。私的には色々な人に話していますし、ツイッターに上げている動画を見れば殆ど明らかな事ではありますが、こうして文章で明示する事は初めてだと思います(この辺り、最後の最後で守りに入っていて、何かダサいですよね)。

 出場したい理由は簡単で、俺が目立って自己顕示欲を満たしたいからです。もう少し詳しく書くと、(この記事を書いている時点から)ほぼ丁度4年前、自分が学部4年の頃、数学科の演習の授業が無くなって自己顕示欲を満たす場を失い、更にセミナーでスキーム論に挫折気味でプライドもズタボロだった時に、昔からそれなりに好きだったSASUKEの第32回大会を見て、「これだ!」と思った事が切っ掛けでした。同級生の親友(だと少なくともこちらは思っている)にSASUKEが大好きな奴がいた事も、この切っ掛けを強烈に後押ししました。翌日から数日間、近所の本屋に籠って(先日の記事で紹介した)スポーツ関連の本を読み漁ってトレーニング計画を立て、その親友を誘って、直ぐにトレーニングを開始しました。今も続く青春の良き思い出です。

 

 さて、SASUKEは今尚、一定の人気を維持しており、出場を希望する人も非常に多く、各回の出場者選抜の倍率は、大体30~50倍程度と見積もられます。俺は今年28歳であり、残されたスポーツ選手としての寿命も考えれば、恐らくこの夢が叶う確率は、かなり低い様に思われます。ところで、世の中の人の多くは、恐らく、夢を叶える為の努力をしていても、その夢の実現可能性が低いと悟った時、その努力を止めてしまう事が多い様に思われます。しかし俺は、サブタイトルの通り「夢が叶うか如何かという事と、その夢の為に努力する事は、独立である」と思うのです。

 俺がこの様に考える切っ掛けとなったのは、ボクシングをテーマとしたアニメ「はじめの一歩」のOVA「間柴vs木村 死刑執行」でした。話の内容を要約すると、本編主人公同門の先輩である脇役、木村達也が、日本ジュニアライト級タイトルを手にする為に大変な努力を重ねるも、結局はチャンピオンである間柴了に勝てずに幕を閉じる、というものです。文章だけでは実際に映像中で表現されているものを全く伝える事が出来ないので、興味を持ってくださった方には、是非とも実際に作品をご覧になって欲しいのですが、この作品は兎に角「たとえ夢が叶わなくても、その夢の為に努力する事の意味」というものをパワフルに視聴者に訴えている様に思います。世間では安易に“努力は実る”なんて言いますが、この作品は「努力が必ず実るなんてのは真っ赤な嘘だけど、それでも努力を重ねて欲しい」というメッセージを全力で発している様に思います。

 1つ注意しておくと、自分ははじめの一歩は完全ににわかファンであり、原作は見た事が無いし、アニメも通しで見た事は無いです。がちファンの方が若し読んでおられたら、本当にごめんなさい。後、紹介したOVAは、本編をそんなに知らなくても普通に見られる内容になっている事も、補足しておきます。

 

 まあでも、この様な精神論だけで話を終らせるのは数学科の恥ですので、その努力を重ねる意義について、少し考えてみようと思います。

 先ず、先も引用した、世間の“努力は実る”という言説についてですが、これは個人的には「努力は実るのではなくて、実る努力を全力で考えそれを実行する」とあるべきだと思うのです。昨今、根性論オンリーの部活動の練習なんかに対して、(SNSの発展も手伝って)漸く批判的な意見が表に出る様になってきた様に思われますが、この風潮には自分も大いに賛同します。最初から思考停止の根性論に走ってしまう事は、太平洋戦争以来の日本人の悪い気質である様に思います。先ず確たる科学的/論理的な根拠を用意し、根性論はその上に在って初めて意味を持つ様に思います(勿論、その科学的/論理的根拠を確立する為に、根拠不在の試行錯誤が必要となる事は在ると思います。また、思考停止の根性論がたまたま正しいものであり、結果的に成功者を生み出してしまう事例も、世の中には往々にして存在するでしょう)。

 しかし、世の中って矢張り残酷で、こうして重ねられた「実る筈の努力」ですら、時に天性の才能の差によって、或いは時に運によって、実らない事が在る様に思われます。てか、寧ろ実らない事が殆どなのでしょう。でも、だからこそ「実る努力を10回して、それで1回実れば充分である。その1回を呼び込む為に、残りの9回も全力で努力すべきなんだ」という事を常に意識しておくべきだと思うんです。実る事を前提に努力を考えてしまうと、それが成されないかもと悟った時に、心がポッキリ折れてしまう様に思うので、この様に良い意味で少し冷めた視点を持っている事が、常人が努力を続ける上では重要である様に思います。

 そして、「実らない残りの9回の努力」を最後に支えるのが、先に紹介した「はじめの一歩」の様な、敗れた者にスポットライトを当てた作品であったりするのでしょう。

 

 さて、最初も述べた通り、元々は単に自分が目立ちたいから始めたSASUKEの練習ですが、最近は少し別の想いも芽生えてきました。

 ご存じの通り、俺は現在、数学科の大学院生をやっている訳ですが、兎に角、自分がやっている事が他人の役に立たない事がつらい。自分がしている研究は、統計や微分方程式みたいな「実社会への応用」は先ず見込まれないし、しかも俺自身の数学の才能が皆無なせいで、出した研究成果は数学自体の役にも余り立ちそうにない。そんな時に思ったのが「俺がSASUKEのトレーニングとかについて考える時、頭の使い方って数学について考える時と随分と似ているな」って事です。世に言う「数学的思考」ってやつだと思われます。だからこそ、役に立たないと思われた俺の数学人生で培ったものが、この様な全然別の場面で花開き得るものである事をアピールしたい。もっと言えば、俺がSASUKEで活躍し、テレビで「数学的思考のお陰です」なんてコメントして、世間が数学について見直す事の一助となれたら、なんて壮大な野望を抱いたりもしている訳です。数学からSASUKEへ、そしてSASUKEから数学へ、という風に、自分の中でどんどん「数学とSASUKEの良い相互作用」を生み出していけたら、と思います。

 「数学とSASUKEの良い相互作用」と言えば、先日の記事でも書いた通り、トレーニングをしている事が切っ掛けで、自分と話をしてくださる数学関係者が、時々おられます。自分なんかとは比較にならない程優秀な方も沢山です。これも、自分の中での「数学とSASUKEの良い相互作用」の1つである様に思います。

 序でに白状しておくと、SASUKEって珍しい肩書を持っている人の方が出場し易いみたいなので、数学者になりたい理由の1つとして、そんな変わった肩書が欲しいから、ってのが在ります(勿論、メインの理由は、自分で作った或る問題を如何しても解いて論文にしたいからです。決してSASUKEに出る為だけではないです嘘じゃないです信じてください)。

 

 

 では最後に俺お得意の「予防線」を張っておくと、これだけ散々自分語りをしておいて、竟にSASUKE出場の夢も、そして数学者になる夢も叶わなかったとしたら、本当に滑稽極まりないと思います。まあでも、そんな実らなかった努力達も、きっと年老いた時には甘酸っぱい良き思い出に変わってくれているだろうと信じて、今日も筋トレと数学を頑張る事にします。

 いやー。こうやってちゃんと文章にして公開すると、まじで“真面目な自分”に酔えて最高に気持ち良いです。